焦がし醤油が誘うイカポッポの思い出、
そして8年ぶりに甦る浜焼きの灯火

相双地域の素敵なところは、何といっても人情深くて温かい地元の方々です。そんな相双を象徴するような存在が、ホテル飛天の管野貴拓さん。
飛天を訪れた海外のお子さんと軽やかにハイタッチを交わす貴拓さんの胸の内には、相馬の思い出を語るには欠かせない、そして地域の希望ともいえる ” イカポッポ “ の存在があります。
そうまの味!浜焼きのイカポッポ
「次はそうま、そうま」
滋賀の南草津を出発して、もうすぐ7時間。新幹線、在来線を3度乗り継ぐ900kmの長い旅路に、身体はバキバキと音を立てる。
それでも、窓に広がる久しぶりの風景に心弾む。
福島県相馬市を訪れるのは2回目。初めて来たのは、大学のプログラムで福島を巡ったときだった。そのとき触れた景色や人々のぬくもりが、今も心を離れない。
今回私は、相馬の東部・松川浦を一望する場所に佇む、ホテル飛天にたどり着いた。上皇さまが2度も訪れたというここは、ゆったりとした時間が流れる癒しの場所だ。その代表を務める、管野貴拓(かんの たかひろ)さんに出会った。
生まれも育ちも相馬の貴拓さんに私は、「ふるさとの懐かしい味といえば?」と尋ねた。すると貴拓さんは、「イカポッポ!」と即答してくれた。東北ではイカ焼きのことをイカポッポと呼ぶらしい。
松川浦といえば浜焼きが名物だ。浜焼きは、穫れたての魚介を串に刺し、塩で焼いて食べるものだ。イカポッポは浜焼きのなかでも人気があり、醤油の甘辛い味が病みつきになる。

地元への想いを育んだ、思い出の味
かつての松川浦では海開きになると、県内外から訪れたたくさんの人たちのにぎやかな声が響いた。焦がし醤油の香ばしい匂いにつられ、あちこちから「イカポッポ、お願い!」という呼びかけが聞こえてきたという。
貴拓さんは小学生の頃から、両親の営む、みなとやで浜焼きのお手伝いをしていた。松川浦に面するそのホテルは、現在も管野さん一家で営んでいる。早々に売り切れてしまわないようにと多めに焼いたイカポッポは、自宅の食卓にもたびたび並んだ。
高校生の時にはお弁当にもイカポッポが登場したらしく、「もー、イヤになったよねー」と目尻を柔らかく下げて微笑んだ。

一度途絶えた浜焼きに、再び灯をともす
今もなお地元の人や海水浴客に愛されている浜焼きだが、その灯は一度途絶えている。東日本大震災後、皆が目に見えぬ放射線を恐れ、その矛先は松川浦にも向けられたからだ。
貴拓さんは当時を回想して言う。「海の近くで、原発の近くで、そこで焼かれるものを食いてぇと思う人がいるかっていう話だ」。
震災から8年後、海水浴場が再開されることになった。やがて、海水浴客から「浜焼きは食べられないの?」という声がちらほら聞こえてくるようになった。
その声に応えるべく、貴拓さんは「浜焼き、復活させるぞ」と仲間と立ち上がった。松川浦で再び浜焼きの火が灯り始める瞬間だった。

応援の気持ちが、浜焼きと未来をつないでいく
「いまの浜焼きはね、おれは震災前とはモノが変わったと思ってる」と語る貴拓さん。
昔の浜焼きは、浜辺の雰囲気を楽しみながら、松川浦で獲れた海の幸を堪能できるものとして喜ばれていた。そして、震災を乗り越えた現在では、松川浦で頑張っている人々を応援したいというお客さんの気持ちが、より一層浜焼きを支えている。
松川浦での浜焼きは復活の狼煙を上げたばかり。
「イカポッポ、お願い!」という呼び声が響いた、あの日々に向かっている道中である。これからも松川浦で人々の応援とともに歩み続けることだろう。

Writer Profile
横山心叶
広島県出身、立命館大学に通う3回生。全国各地の美味しいものを求めて、相馬にたどり着く。相馬の海が育んだあおさやお刺身は、まさに至福の味。
<ライターおすすめ!相双地域の好きな場所>
相双地域の好きな場所は、山の上の図書館「天山文庫」です。酒樽の中に本がびっしりと詰まっている様子は、ここでしか見られないのではないでしょうか。天山文庫の近くにある「いわなの郷」ではイワナ釣り、「かわうちの湯」では温泉も楽しめます。