写真フォルダーにはない海
相馬の海はきれいだった。朝日が出るのを待って、私はシャッターを何度も切った。心地よい波の音を聞きながら海を眺める。私にとってこの時間は、日常から少し離れた特別なひとときだった。
相馬市松川浦のあおさ漁師遠藤さんは海の写真を探すのに苦戦していた。やっと見つけた一枚は、船上から撮られた日の出の写真。海に反射した光が一本の道のように伸びていて、やはりきれいだった。
こんなにも美しい海と毎日共に生きているのに、どうして遠藤さんの写真フォルダにはほとんど海がないのだろう。私は不思議で仕方がなかった。
それは、あおさ漁師として海と共に生きているからだろうか。
遠藤さんにとって海は、眺める景色ではなく、日の出とともに松川浦へ出て、あおさを刈り取る生活そのものなのかもしれない。
地球温暖化の影響などで、あおさは近年、思うように取れなくなってきているという。急に変色してしまったり、原因不明でだめになってしまったりすることもあるらしい。遠藤さんは、私が感じるきれいな海とは異なる向き合い方で、海と生きている。
私たちの訪問は、あおさの収穫の時期とは少しずれていた。そのため遠藤さんは、少し悔しそうに「時期がなあ、育ったころに来たらまた案内するよ」と言ってくれた。私はそれまで、遠藤さんをさっぱりした方だと感じていた。 あおさ漁も、たまたまたどり着いた先がこの仕事だった、そんな印象を持っていた。だからこそ、この言葉を聞いたとき、私は少し意外に思った。 だけど、淡々としているように見えて、その奥には、自分の手で育てたものへの思いが、静かに、でも確かにあるのではないだろうか。遠藤さんの顔を見ながら、そう考えずにはいられなかった。
遠藤さんのお話を聞く前、海は私にとって遠い存在だった。観光地として、ただ美しい風景をレンズ越しに切り取るだけの対象だった。しかし、環境の厳しさ、そして遠藤さんのあおさへの思いを知るうちに、海との距離が少し縮まったように感じる。私が見ていた非日常の美しさの裏側には、遠藤さんのように海と共に生きる人々の営みがあり、その恩恵を私たちは受けているのだと気づかされた。
いつだって海は特別な場所である。それは今も変わらない。しかし、遠藤さんと出会い、非日常から愛情へとその特別の意味が少し変わったような気がする。
Writer Profile
櫻井優来(さくらい ゆら)
立命館大学 2回生 / 大阪府出身
