相馬市岩子在住、38歳。里帰り出産で東京で生まれる。6歳まで東京と相馬を行き来する生活だったが、両親の離婚を機に小学校から高校まで東京で過ごす。高校卒業後は大工になるも、ケガの影響で大工を辞め、設計の専門学校に進学。その後、ハウスメーカーと設計事務所に勤め、32歳の時に相馬に戻る。現在は父親と愛犬と暮らし、松川浦で父親と二人三脚であおさ漁に励む。休日は友人たちとゴルフやサップの時間を楽しんでいる。
イヤじゃないから辿り着いたあおさ漁
【書き聞き】
東京で学童クラブに行ってた頃、その中に図書室とプレイルームと図工室しかなかったの。俺、運動嫌いだったから、まずプレイルームがなくなり、漫画置いてなかったから図書室がなくなり、消去法で図工室一択(笑)。木片を船の形にして、後ろにゴム動力のプロペラがつけられてるみたいな、そういうキットがいろいろあったんだよ。それを使って、小物をつくるってことを小学校低学年の頃からずっとやってた。たまたまやったものが、けっこう自分の性に合ってたっていう感じ。そこから、「ものつくってくの面白いな」っていうので、ずーっと来た。
俺、親が離婚して東京に帰ったんですけど、母親が毎回長期休みになると俺とお姉ちゃんを相馬のお父さんのところに送り出してたんですよ。相馬に対して小学校の頃はおじいちゃん、おばあちゃんの家に遊びに行くっていう感覚が大きかったですね。相馬に帰ってくると、おじいちゃんと松川浦に行ってアサリ取ったり、畑やったりしてたんで、新鮮で刺激的だったんですよね。
高校卒業して大工、次に設計事務所に就職。30の節目のとき、新しいことをやり始めようかって悩んで。もともと農業とかには興味はあったんですよ。夏休み帰ってくればおじいちゃん、おばあちゃんが畑やってるし。だから、震災後もうすぐ10年になるときに、農業やりてえな、相馬行きてえなっていう思いだけで帰ってきた。
相馬や田舎に対して、そこまでイヤなイメージがなかったんですよ。相馬にポジティブっていうより、東京にネガティブって感じだった。人が少ないところ良いな、みたいなのがあったから。ワクワクの方が大きかったね。
ただ、相馬に帰ってきてネガティブにいくときはあった。帰ってきたと思ったら台風がきて、洪水になって、やっぱ自分の判断間違ってたのかなーとか思った時はある。けど、最後少しの間だけどおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に住めて良かったなという思いの方に切り替わったかな。周りもね、ずっとポジティブなことを言い続けてくれたっていうのもあるんだけど。
俺、どっちかというとネガティブ思考になることが多くて、ずっと自己肯定をできなかったのよ。だから、帰ってきて、周りの人からポジティブなことを言われることがすげー嬉しくて、それが今、原動力になってるかな。
ほんと帰って来て、そこから本格的に田んぼや松川浦の仕事を知り、4、5年。まだ勉強中だし、いまだに分からないことも多いんです。好きなことをやってるよりは、イヤなことをやらなかったらこれをやってた、みたいな。どっちかっていうと、そうかもしれない。けど、楽しみながら今、仕事、生活ができてる。
何事もね、できるようになってくと楽しいし、あおさが綺麗に育ったなって思うとやっぱ気分いいし。自分のところが真っ青でワサワサってなっていると、なんかちょっと心でニヤニヤっとするし。








